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小槌
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Vol.54  聖シュテファン大聖堂でグノーのミサを歌う


2023/9/6

 私が所属している東京大学音楽部コールアカデミーのOB合唱団アカデミカ・コールに、「聖シュテファン大聖堂でグノーのミサを歌おう」というオファーがあり、私を含め22名の有志が参加することになりました。グノーのミサは、アカデミカ・コールで既に何回も歌っており、ヨーロッパの演奏旅行の時もフランスではグノー自身が初演したパリのサンジェルマン・ロクセロア教会、イタリアではアッシジの聖フランシスコ大聖堂、バチカンの聖ピエトロ大聖堂でも歌った我々の十八番の曲です。
 
 旅行社が企画したツアーは、8月16日に日本を発ち、17日にウィーンについて市内観光。18日に聖シュテファン大聖堂での演奏をして、19日、20日はザルツブルグ音楽祭を聴きに行って22日に帰国するというものでした。しかし、それほど長くクリニックを休めないので、奥さんと別行動で、JTBに依頼して15日に日本を発ち同日夕方ミュンヘン着、16日にミュンヘン観光して、17日にウィーンで皆に合流し、18日に演奏して、19日にウィーン発、20日に帰国という予定にしました。
 
 8月15日(火)は台風7号が関西にそれてくれたおかげで、無事9時40分発のルフト・ハンザのミュンヘン直行便で、羽田空港から日本を発つことができました。ビジネスクラスで、ほぼフラットになって寝ることはできましたが、やはりJALやANAの方が、ゆったりとしていました。機内の楽しみは、普段なかなか見ることのできない映画で、「総理の夫」「007 No time to die」「アバラー:ウェイ・オブ・ウォーター」を見ました。今回の旅行は、いつも寝る前に服用するメラトニンを忘れたので、機内で十分寝ることはできませんでした。いつもは12時間ぐらいでヨーロッパに着くのに、ロシア上空を通れず、南回りで飛行したため、14時間もかかりました。
 
 ミュンヘンには、予定の8月15日17:10より30分ぐらい早く着きましたが、荷物が出てくるのが遅くて待たされました。空港には、JTBの手配したガイドのハタダさんが待っていてくれて、夕食をどうするか聞かれましたが、もう疲れていたので、空港のスーパーでサンドウィッチとコーラ・ビールを買って、ホテルで食べました。風呂に入って、早々にベッドに入り、途中何回も目を覚ましながら9時間ぐらい寝ました。
 
 ホテルは、ミュンヘンの町の中心部にあるバイエリシャー・ホフで、6階の窓から聖フラウエン教会や市庁舎の塔が見える長めの良い部屋でした(写真1)。16日バイキングの朝食後、周りを散歩しました。このホテルには、マイケル・ジャクソンが泊まったことがあり、彼が亡くなってから、ホテル前のLasso(作曲者)の像が、マイケル・ジャクソンの写真で飾られているという光景を見ました(写真2)。近くの聖フラウエン教会では、朝の礼拝を行っていました。
 

写真1
写真1.ホテルから眺める聖フラウエン教会の塔

 

写真2
写真2.ホテルの前のLassoの像に飾られているマイケル・ジャクソンの写真

 
 10時にハタダさんが大きなワゴン車で迎えに来てくれて、市内観光に出かけました。最初にいったのが、ヴィテルス・バッハ君主の夏の離宮だったニンフェンブルグ宮殿で、広々とした敷地に白い建物が整然と連なって、前の芝生には雁が歩き回っていました(写真3)。裏庭もベルサイユ宮殿を思わせるような雄大な広がりでした。次に行ったのは、アルテ・ピナコテーク(古い美術館)で、有名なデューラーの「自画像」、ラファエロの「聖家族」、ダヴィンチの「聖母子」、ルーベンスの「最後の審判」、バウチャーの「ポンパドール夫人」、セガンティーニの「耕作」、ゴッホの「ひまわり」「麦畑」など、有名な画家の絵画を楽しむことができました。
 

写真3.ニンフェンブルグ宮殿と芝生の雁

 
 昼食後、ヴィテルス・バッハ君主のかつての王宮である「レジデンス」を見て回りました。ここもベルサイユ宮殿を思わせるような豪華な寝室や、接見室、象牙のシャンデリアなど美しい内装に目を奪われましたが、熱いうえに換気も悪く、奥さんの体調が悪くなりました。その後、外の市場でフルーツジュースを飲んで落ち着いて、ヒトラーがナチスを旗揚げしたというビアホールHOFBRÄUHAUSに行きました。ここは、1970年の学生時代コールアカデミーのドイツ演奏旅行の時に訪れたので50数年ぶりの訪問ですが、その時の記憶がほとんどないので新鮮でした。
 
 17日はホテルを10時ごろ出発して、空港へ。ルフト・ハンザの登場手続きは、カウンターではなく、受付機に情報を打ち込んで荷物のタグが印刷され、それを自分のスーツケースにつけて荷物を送る機械にまた情報を打ち込んで自分でスーツケースを送る作業をしなくてはなりませんでした。全部ガイドのハタダさんがやってくれたからスムーズにいきましたが、自分一人ではこれから海外旅行もできなくなるなと思いました。13時頃にはウィーン空港に着き、ガイドの田中さんが迎えに来てくれて、14時頃にはトレンドホテル・アナスに着き、15時ごろに他のメンバーがバスで到着して合流しました。
 
 18日の本番の日は、朝食後バスでウィーン市内に移動して、聖シュテファン大聖堂の隣の建物で練習して、本番に備えました。その建物の入り口には、我々の演奏会を知らせるチラシが貼ってありました(写真4)。昼のミサが終わって、12時45分に隊列を組んで横の入り口からシューベルトのドイツ・ミサの「Heilig」をドイツ語と日本語で歌いながら入場し、祭壇に並びました。長さ100mもある大きな聖堂に、多くの人々が聴きに来てくれていました(写真5)。今回の旅行を企画した奥村先生の挨拶のあと、井川緋奈さんのパイプオルガンの伴奏、酒井雅弘さんの指揮で、グノーの「第二ミサ」を全曲演奏しました(写真6)。荘厳な雰囲気の中で歌うミサ曲は、格別なものがあり、声もお堂に反響して綺麗に響きました。私自身は、約30分の曲の途中でスタミナ切れして、全曲思った通りに歌い切れなかったのが残念でした。終わった後に、ウィーン在住の患者さんの両親が会いに来てくれて、素晴らしい演奏だったと誉めてくださいました。
 

写真4
写真4.演奏会のチラシ
 
写真5

写真5.聖シュテファン大聖堂
 
写真6
写真6.聖シュテファン大聖堂でのグノーのミサの演奏(後列左端が筆者)

 
 市内のレストランで、皆で昼食を食べましたが、名物のWiener Schnitzel(ウィーン風カツレツ)は顔ほどの大きさで、食べきれませんでした(写真7)。夜は郊外のHaurige(ワイン酒場)に繰り出して、ワインを飲み、歌を歌い楽しみました(写真8)。

 
写真7
写真7.顔ほどもあるWiener Schnitzel
 
写真8

写真8.Haurigeでの打ち上げ

 
 19日は、ザルツブルグ音楽祭へ行く他のメンバーを見送って、ウィーン空港13:30発のオーストリア航空で、一路成田に。また3本映画をみて、20日朝8:50無事成田空港に到着しました。
 
 今回の旅行は短かったけれど、聖シュテファン大聖堂で歌うというまたとない経験を積むことができて、有意義でした。まだまだスタミナをつけて、歌っていこうと思っています。
 
「聖シュテファン大聖堂での演奏は、以下のYoutubeで視聴できます。

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