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小槌
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Vol.21  「ベルギー、ハンガリー紀行」


2012/4/25

 
 ブダペストで開かれる国際シンポジウム出席の機会に、妻と二人でブリュッセルとブルージュ観光に行くために4月15日成田空港を発った。チェックインの時にトラブルがあり、私のフランクフルトからの乗り継ぎチケットは発券されたのに、妻の分が発券されなかった。JALに問いただしたら、ルフトハンザに連絡をとるので、ダメならばフランクフルトで発券してもらうようにということであった。
 
 JALの中では、見たい新しい映画が沢山あったので、「シャーロックホームズ」「ミッション インポッシブル」「戦火の馬」と三本も見てしまった。
 
 フランクフルトに着いたら、ルフトハンザの職員が、妻の搭乗券を持って飛行機を出たところで待っていてくれたので、乗り換えがスムーズにできた。JALの手配に感謝。ブリュッセルに着いて、タクシーで中央駅前のメリディアン ホテルにいき、バタン・グー。
 
 翌日16日は、北ヨーロッパのベニスといわれるブルージュ観光。頼んでおいた日本語の話せるガイドのクリスチーヌさんがホテルまで迎えにきて、中央駅から急行列車でブルージュまで約1時間。ベルギーは、古くはローマ帝国、中世以降はハプスブルグ家、ドイツ、フランス、オランダなどの支配を受け、1830年にオランダとの独立戦争に勝ってベルギーとして歩み出した新しい国で、そのような歴史背景の影響で、オランダ語、ドイツ語、フランス語の三つの言語が使われていることなど、話してくれた。
 
 ブルージュは運河が縦横に走っている小さな町で、クリスチーヌさんに案内してもらって歩き回った。愛の湖公園というロマンチックな名前の小さな公園には、チューリップが綺麗に咲き、また菩提樹が「頑張るぞ」の形に剪定されていた(写真1)。若き日の美智子様が泊まったこともあるペギン会修道院や、聖母教会を見て回ったが、聖母教会には本来ならばシエナの教会に置かれる予定だったミケランジェロの素晴らしい聖母子像があったのには、驚いた。
 

写真1・2

 
 昼は、ベルギーの家庭料理のレストランで、ビールで煮込んだビーフシチューを食べ、ブルージュでしか飲めない地ビールで、お腹いっぱいに。その後運河巡りのボートで、水の上からブルージュ巡り。ベルギーの地ビールが陳列されている「ビールの壁」は、400以上のビールとジョッキがならべられていて、ビール作りが盛んな国ではの風景だった(写真2)。聖血礼拝堂には、12世紀に十字軍に参加したフランドル伯が持ち帰った「キリストの血の遺物」が公開されており、司教の前に置いてあるのを1ユーロのお布施を出して見ることができた(写真3)。ブルージュでの買い物は、チョコレート、刺繍、コブラン織り。歩き回って、くたびれた。
 

写真3

 
 夜は、ゴディバやノイハウスなどのチョコレートハウスがならぶギャルリー・サン・チュベールというアーケドを通って、レストランへ。地元の人たちにも人気のベルギー料理店オー・ザム・ド・ブリュッセルで食べたが、まだお腹が時差慣れしていないのか、スープと前菜でお腹いっぱいになり、メーンのロブスターを食べきれなかった。
 
 17日は市内観光で、サン・ミッシェル大聖堂、王宮をみて、王立美術館へ。ここでは、ピーター・ブリューゲルの「ベツレヘムの戸籍調査」「イカルスの墜落」やルーベンスの「東方三賢王の礼拝」の大作に、目を引かれた。近くの楽器博物館では、ヘッドホンを渡されて、楽器の前にあるプラグに差し込むと、その楽器の演奏が楽しめた。
 

写真4

 
 それから有名な小便小僧(写真4)。今日は裸だったが、世界中から贈られた服を、770着も持っているとか。昼は、ベルギー・ワッフルを食べたが、日本で食べるのとあまりかわらない味だったが、いろいろなトッピングがあるのが、特色だとか。
 
 市庁舎や昔のギルドの集会所だったグラン・プラスは、チョコレート屋、カフェ、レストランであふれていた。クリスチーヌさんが冬に働いているチョコレート屋のジャン・フィリップ・ダルシーで、お土産のチョコレートを買い込んだ。ブリュッセルには、EUの本部がある。EUはもともとベネルックス3国を中心に始められており、ベルギーはEUの中での主要国である。EUの建物をみて、サンカントネール(独立50周年記念)公園の凱旋門から、ブリュッセルの街並みを眺めた。
 

写真5

 
 空港に行く前に、クリスチーヌさんが是非にと連れて行ってくれた郊外のハルルニスの森には、野生のヒアシンスが一面に咲いていて、まるで紫の絨毯だった(写真5)。ブリュッセルからルフトハンザでブダペストに着いたのは夜の7時半すぎだが、まだ空は明るかった。

 翌18日の午前中はJCR-Ferring Workshopで、久保先生、私、Alan Rogolが講演した。私の話した性腺抑制と蛋白同化ホルモン併用療法にHughesやRoomanが興味を持ち、ディスカッションが盛り上がった。丁度今度のClinical Pediatric Endocrinologyに掲載されるゲラ刷りを持っていたので、Roomanに渡しておいた。
 

写真6

 
 午後は市内観光で、オペラハウス、英雄広場、鎖橋(写真6)、ブダの丘の上のマーチャーシュ教会、漁夫の砦などを回った。ハンガリーは、900年頃にアジアの方から来た騎馬遊牧民族が祖先と言われ、1000年頃にイシュトバーン1世が時のローマ法王シルベスター2世より王冠を戴きハンガリー王国を樹立したので、いたるところにイシュトバーンの銅像がある。その後オスマントルコ、ハプスブルグ、ナチスドイツ、 ソ連の支配を受け、領土をスロバキアやクロアチアに分断され、1989年にハンガリー共和国になったという、激動の歴史を持った国で、ブダの丘の上にもドナウ川をはさんでドイツとソ連が戦った砲弾のあとが残っていた。ガイドさんのおばあさんは、同じ小さな村に住んでいたが、国名が4回も変わったという。
 
 19日は、西洋美術館に会館時間の10時に行ったが、停電でいつ開けるか分からないと言われ、仕方なくアンドラーシ通りをテクテク歩いて、コダーイ記念館に行ったが開いなかった。コダーイの2番目の奥さんは、コダーイと60歳ぐらい年が離れていて、いまだに生きているとのこと。もう少し歩くとリスト記念館があり、リストの使ったピアノが何台もあり、作曲していた部屋、弟子にピアノレッスンをしていた部屋などを見ることができた。聖イシュトバーン大聖堂には、聖人となったイシュトバーン1世の像が祀られており、ミイラ化したイシュトバーンの「聖なる右手」が陳列されていた。
 
 ホテルまで歩いて帰ってワークショップの打ち合わせ。その後、成長ホルモンのセッションを聞いた。Chatelaine もShaletも、成人身長に対する1年目の成長速度の重要性を強調していたが、思春期に関しては言及してなかった。Roomanの、リンパ組織、胸腺、腸管、筋肉、水分貯留、内皮細胞などに対するGHの作用のレビューは、なかなか興味深かった。
 
 20日の9時から、私とGhizzoniが座長をしたWorkshop "What's new in puberty?"では、昨年日本でも講演したJuulが、デンマークでも昔より思春期開始時年齢が男女とも早まっており、男子においてはBMIの増加と関連があることを示した。Perssonは、GnRH antagonistの前立腺がんにおける効果を示したが、ゴナドトロピン、テストステロンに対する抑制作用は早くて強力で、analogで見られる初期の刺激作用が全く見られず、がんに対する治療効果もanalogよりも上回っていた。小児におけるデータは全くないが、治療量は80mg~240mgと多いため、注射する量も4mlと多く、局所反応の副作用が多いのが小児の思春期早発症に用いた時に問題となるだろう。また、FSHもしっかり抑制されていることが、小児の場合成長率にどの様な影響があるか興味がある。
 
 最後のOostdijk の講演を私が司会したが、話すのが遅く、途中で早く話すように注意したが、それでも時間を超過したのには参った。
 
内容もたいしたことがなかったが、GnRHアナログで治療された女子が治療終了後に妊娠した論文を2編紹介していたのと、小児におけるリュープリンの3ヶ月製剤の治療効果が70~80%であるという情報は役立った。
 
昼は、NOBUという日本料理店で天ぷらと茶そばを食べたら、早く日本に帰りたくなった。ブダペストにも日本料理店はいくつかあるが、今回は夜食の予約が全く取れなかった。昨日見れなかった西洋美術館ヘいった。旅行の本にはラファエロの「聖母子」が有名とかかれていたが、それ以外にもレオナルド・ダ・ヴィンチの「聖母子」や、グレコの作品も数枚あり、楽しめた。西洋美術館ヘ行くのに、ホテルからタクシーに乗ると2700フォリント(約1000円)なのに、帰りはホテルまで5900フォリントかかったのには驚いたが、ガイドさんに聞くと、よくある事らしい。
 

写真7

 
 シンポジウムが終わってから、バスでドナウベントと呼ばれるリゾート地のセンテンドレ、エステルゴム、 ヴィシェグラードを回って、コヴァーチ・マルギット美術館、エステルゴム大聖堂などを見て回った。途中にコウノトリの大きな巣が電信柱の上にあり、コウノトリがいるのが見ることができた(写真7)。こちらに18年住んでいる日本人ガイドの小谷さんの話が面白かった。ハンガリーはカトリックの国なのに、離婚率が60%もあること。医者の月給は5万円ぐらいと安いので、多くの医者が海外に行ってしまっていること。医療費は全額無料だったのを、初診料を100円ぐらい取るようにしたら、患者が激減して、6ヶ月で廃止になったこと。お産は何も言わないと帝王切開されてしまうので、医者を調べて賄賂を渡しておかないと、自然分娩できないこと。郵便屋にもチップを渡しておかないと、書留も持ってきてくれず、局まで取りに行かなければならないことなどなど、驚くことばかり。貧困層が2割ぐらいもいるのに、消費税は27%と高く、全体としてまだまだゆっくりした開発途上の感があった。
 
 泊まったヴィシェグラードのホテルは温泉があるが、こちらの温泉はプールになっていて皆海水パンツで入っている。今回海水パンツを持ってこなかったのと、時間もなかったので、ハンガリーでの温泉体験はできなかった。
 
 21日はもう帰るだけで、ブタペストからフランクフルトに飛んで、JALのラウンジに入ると、本当にホッとした気分になる。機内では、また和食と映画三昧、「鉄の女」「やさしい金縛り」「ロボジイ」の3本も観てしまった。
 
 今回は、激動の歴史のヨーロッパの2つの小国の旅で、逆に日本の平和と日本人の勤勉さと道徳性の高さを振り返って見ることができた。

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