院長コラム
Vol.11 「前田幸市郎メモリアル 東京合唱団・アカデミカコール演奏会」
9月13日紀尾井ホールで、「前田幸市郎メモリアル 東京合唱団・アカデミカコール演奏会」があり、わたしはアカデミカコールの一員として、「ケルビーニのレクイエム」を歌いました。前田幸市郎は、私が学生時代に所属していた「東京大学音楽部コールアカデミー」の常任指揮者で、私は先生の合唱指導だけでなく、人間性にも惹きつけられ、大学を卒業しても、前田先生が指揮をしていた「東京合唱団」で数年間歌っていました。現在は、東京大学音楽部コールアカデミーのOB合唱団であるアカデミカコールで歌っています。
その前田先生が亡くなられて20周年の今年、メモリアルコンサートが企画され、「ケルビーニのレクイエム」、「フォーレのレクイエム」「シューベルトのミサ」が演奏されたわけです。その時に配られた追悼の小冊子に書いた私の拙文です。
前田幸市郎先生の思い出
私と酋長の出会いは、昭和41年東京大学音楽部コールアカデミーに入ったときでした。1年生の定演で「ラバネロのミサ」のステージで、酋長の顔がぼっとかすむ感激を味わい、はじめて合唱芸術の片鱗にふれさせていただきました。それ以来、コールアカデミー、東京合唱団で、「リストのミサ」「ケルビーニのレクイエム」「フォーレのレクイエム」など数々の合唱を歌わせていただき、私の酋長の最後のステージは「バッハのヨハネ受難曲」でした。酋長の練習は、緊張感の中にユーモアがあり、本当に充実感がありました。私は、酋長の音楽性だけでなく、人間性にも惹きつけられていました。私が酋長からいただいた言葉は、学生時代に「トシ、おまえのはフォルテッシモじゃなくガナリッシモだ!」、医者になってから「おめえは、土手医者だ。藪はむこうが透けて見えるが、土手はまったく見えねえ。」。
酋長が亡くなる1~2年ぐらい前に、私は酋長が入院していた東京女子医科大学の非常勤講師として、小児科の外来で月に2回診察していました。酋長が入院していたときは、外来が終わってから、白衣のままよくお見舞いにいって、元気づけていました。奥様から「トシさんが来ると、非常に元気づけられるのですよ。」と伺って、少しでも力になれたかなと思っています。平成元年3月に、東京女子医大の外来は止めることになり、またその年の4月に私の妻がガンでなくなって、それ以来お会いすることができませんでした。酋長が9月に亡くなってあとに、奥様から「トシさんの奥さんが亡くなった話を聞いて、トシが可哀想だとベッドの上で涙を流していました。」という話を聞いて、私も涙を流しました。東京カテドラルでの追悼演奏会には、なにが何でも出演しました。
酋長は、私に心の豊かさを与え続けてくれました。本当にありがとうございました。私はこれからも死ぬまで歌い続けていきます。天国で私のガナリッシモが聞こえても、怒らないでください。昔より今の方が、もう少しましになっていますから。土手医者から、藪医者になっていますから。
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