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2011/5/30

Vol.16  「イタリア旅日記」

 
 ローマで開催の国際シンポジウムを利用して、妻とイタリアを旅行した。今回は、息子さんがローマでデザイナーをしている知人夫妻と一緒で、息子さんが計画を立ててくれたので、いろいろなところを訪れることができた。
 
5月15日(日)

 飛行機はローマ直行のアリタリア航空。トラブルことで有名な航空会社だが、今回も最初に予定していた9時台のフライトがキャンセルになり、13時台のフライトで行くことになった。サービスもJALと比べるとスリッパもないし、カーディガンも貸してくれないし、日本食もないしで散々だった。ローマには予定より早く18時20分ごろに着いたが、パスポートコントロールで1時間、荷物が出てくるのに1時間と、早速イタリア時間の洗礼に遭った。
 宿泊先はローマの4つ星ホテル。しかしこのホテル、エレベーターが修理中で動かず、その上コンセルジュも帰ってしまっていない。ということで、5階まで大きなトランクを階段で抱えあげるのに大汗をかいてしまった。その後、息子さんの行きつけのレストランへ連れて行ってもらったが、そこにはデザイナー仲間やその家族などが集まって歓待してくれた。イタリア人らしく、皆陽気でとても楽しかった。
 
5月16日(月)(カセルタ)と(リストランテ ペペ・ネーロ)

 息子さんがドライバーのもと、南の方面の小旅行。16日は高速道路で、織田裕二の映画で有名になったアマルフィーへ。途中高速道路を下りてナポリ手前の小さな町カセルタで昼食を食べることになったが、息子さんがその町で立ち話している人に聞いて行ったレストラン(リストランテ ペペ・ネーロ)が大当たり。前菜として出てきた窯焼きのプレインのピッツァは、うす焼きだがナポリ風の柔らかい生地で、焼いた香ばしい味が、いままで食べたピッツァの中で一番おいしかった。タコやイカのフリッター、小魚のフライ、アンチョビのピッツァのどれもこれもおいしくて、こんな小さな町にもこんなおいしいレストランがあるのかと、感心した。
 
 


 高速道路を下りてからアマルフィーまでの道は山越えで、細いくねくね道に対向車も来るので、スリル満点。曲がり角でバスが来たときには、本当にこすりそうな具合で、ホテルに着いた時には、緊張した体がやっと脱力した。ホテルは山腹の途中に立っている5つ星ホテルで、テラスからはアマルフィーの町と地中海が広がり、最高の眺めだった(写真1)。夕食は、海辺のレストランで、ムール貝やシーフードのスパゲティーとリゾットに、おいしいワインを堪能した。
 
5月17日(火)

 今日は、ポンペイ見物。紀元79年にヴェスヴィオ火山の噴火で埋もれた古代都市を歩き回った。日本では、弥生時代のやっと米作りが始まったような時に、すでに市民都市として神殿、公共広場、バジリカと呼ばれる人々が訪れる公共建造物、浴場、大邸宅が立ち並び、パン屋、洗濯屋、はては女郎屋まであり、西洋と日本の文明の差に驚いた。半日ポンペイの町を歩き回り、アマルフィーに戻りアマルフィーの町を散策した。様々なモザイクで飾られたドゥオーモは、使徒聖アンドレーアがまつられており、ロマネスク風の天国の回廊や博物館なども見学できた。特産はレモンで、レモンリキュールのレモンチェッロ、レモンのあめ玉、レモンの石けん、オレンジピールのお菓子などをおみやげに買った。

 夜は泊まっている五つ星のホテルで豪勢に食べようということになり、1日中またくねくね道を運転していた息子さんは、「ステーキを2人前食べる」と昼から調整していたのに、メニューはローカルなイタリア料理1種類だけで、息子さんがっくり。
 
5月18日(水)

 今日は快晴で、カプリ島に行こうと早めにホテルを出て、一路ソレントへ。ソレントから高速フェリーで10時半ごろにはカプリ島に到着した。ソレントの港で、知人が気をきかせて帰りの切符(16:05発)も買ってしまったことが後で問題に。カプリ島の目玉は、なんといっても青の洞窟なので、早速青の洞窟を訪れるクルーズに乗り込んで、カプリ島を一周した。美しい海、福井の東尋坊を思わせる岩の連なり、美しい白壁の家が点在する町など、すばらしい風景が続く。青の洞窟に到着したが、そこの岩に日の丸とともに「頑張れ日本、頑張れ東北」の垂れ幕がはためいており(写真2)、ここまで東日本大震災が知れ渡っていることが判った。青の洞窟では、すでに何艘もの小舟が順番待ちしており、1時間半以上かかるので一端港に帰ってしまった。
 
 
  


 港についてから、タクシーで青の洞窟の所までいって並んだら、15分ぐらいで小舟に乗って中に入ることができた。船頭が、2周まわって歌を歌うからとチップを要求し、良かったら払うからということで中に入ったが、水の色の美しいこと(写真3)。船頭が、サンタルチアを歌ったので、私も負けじと大きな声で歌って、気持ちが良かった。楽しかったので、約束通りチップを払った。

 タクシーで高台のウンベルト1世広場に戻り、そのあたりを散策した。カプリで有名なアイスクリーム屋は、周りのコーンをそこで焼いており、温かいコーンにアイスクリームを山盛りにしてくれた。これもなかなか美味しい。有名ブランド店が並んでおり、Valentinoの店には、息子さんの彼女がデザインした服が並んでいた。そうこうしていると帰りの船が出る16時頃になり、あわててケーブルカー乗り場に行ったところ長蛇の列。知人夫人は気が気ではないのに知人は「これから上に登るの?」などと天然ボケを発揮して、一同大笑い。ケーブルカーに乗り込んだ時には、16時5分の船は港を離れていってしまった。それでも知人はケーブルカーを降りて桟橋まで走っていく。そこには、16時20分発の次の船がきており、16時5分発の5人分のチケットをまとめて係員に渡して、どさくさにまぎれて乗り込むことに成功した。

 ソレントの港からは、一路ローマに。細い道から高速道路に乗ったときは、やっとほっとして体の力が抜け、眠くなった。私たちが泊まるローマ郊外のMarriott Park Hotelに20時半頃着き、そこで息子さんは待望のステーキにありついた。
 
5月19日(木)

 妻は朝から知人夫妻と日本人ガイドに連れられてローマ市内観光にでかけ、私は午前中KIGS International Board Meetingに出席した。午後から皆に合流して、コロッセウムの見物をした。コロッセウムは、あの悪名高きネロ帝が人口の池として船遊びをしていた場所に、ヴェスバシアヌス帝とその子ティトュス帝がたった8年で完成させた5万人も収容できる円形競技場で、ご存じのように剣闘士やヒトと猛獣との戦いが行われた場所である(写真4)。
 
 


 夜息子さんがオペラの切符を手配してくれていたので、ホテルに帰って正装してまたローマ市内に戻り、軽い夕食を食べて劇場にむかった。演目は「トスカ」だったがオペラ座ではなく、50席しかない本当に小さな劇場で、実際の観客は15人ぐらいという寂しい状態だった。オーケストラは4台のシンセサイザーと指揮者で、背景はCGを駆使していたが、出演者5名の中でカヴァラドッシを唱ったテナーはすばらしかった。しかし肝心のトスカのソプラノの声が悪くがっかりだったが、これもひとつの旅の思い出となった。
 
5月20日(金)

 20日は朝早くからローマ市内へ出かけ、ヴァチカン美術館へ開館時間の8時前に並んだ。しかし、団体予約が優先入場だったので、結局9時近くなっての入場となった。入ると中庭にシスティーナ礼拝堂の中の天井画と「最後の審判」のパネルが何組も並んでおり、団体毎にそこで説明をしていた。システィーナ礼拝堂の中での解説は禁じられているので、ここで行っておくのだそうだ。われわれもそこでこの壁画は、ヴァチカンの反宗教改革の意味合いがあったとか、死者の魂を裁判する者ミノス王を壁画制作について教皇に苦言を述べていた(教皇庁)儀典長ビアージョ・ダ・チェゼーナの顔に似せ描いたなどの説明を受けた。その後、美術館の回廊を見て回った。彫刻やタペストリー、昔の地図などが展示されていた。彫刻のところで、ガイドさんが「ギリシャの人が、八頭身が美しいと決めたらしいのですが、そんなことないですよねえ」とわれわれに同意を求めると、ガイドさんと同じような体格の私の妻と知人婦人は、大きく頷いて「それはおかしい」と同意の意を示していた。

 ヴァチカン宮殿のラファエロの間の絵もすばらしかったが、最後の間では女性が少したくましく描かれている。これはガイドさんの説によると、ミケランジェロが「最後の審判」を描いている途中に、せっかちなユリウス2世が途中経過を見せろと言うことで足場を全部外して見せたことがあり、このときにラファエロもミケランジェロの壁画をみて影響を受けたのだそうだ。しかしなんと言ってもすばらしいのは、システィーナ礼拝堂を飾る壁画の数々。なかでもミケランジェロの「創世記」と「最後の審判」は、抜群の迫力で迫ってきた。

 システィーナ礼拝堂をぬけてサン・ピエトロ大寺院にはいる。サン・ピエトロ大寺院は、聖ペテロの墓とされている場所の上に建築された物である。右側にミケランジェロの「ピエタ」がある。「嘆きのマリア」などと訳されているが、イエスとマリアのバランスは絶妙で、さすがミケランジェロ。マリアの顔は、イエスの復活を予感させる作品に仕上げられているように感じられた。このあたりは、映画「天使と悪魔」の舞台となった場所で、ミケランジェロのデザインによるスイス衛兵(写真5)の姿は、映画を思い出してしまうが、ガイドさんに聞くと、あの映画はヴァチカンを侮辱しているとイタリアでは不評だったらしい。この日は暑く、その後に行った小さなレストランでのビールと生ハムメロンのおいしかったこと。
 
 
  


私はその後シンポジウム会場に戻って聴講と、「日本の成長ホルモン分泌不全性低身長症における成長ホルモン治療の短期効果と長期効果」および「SGA低身長症における成長ホルモン治療の長期効果」についてのポスター発表を行った(写真6)。その日のシンポジウムが終わってまたローマ市内に戻り、夜は「濱清」という日本料理屋に行って食べた。イタリア料理も美味しかったが、やはり日本料理が最高だ。亡き藤枝先生の日本料理好きを思い出しつつ美味しい料理に舌鼓を売った。
 
5月21日(土)

午前中シンポジウムに出席して、午後は空港に行き、またサービスの悪いアリタリアで一路日本へ。
息子さんと知人夫妻と一緒のイタリアの旅は、とても愉快な楽しい思い出となりました。。
 
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