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小槌
院長コラム

Vol.27  「イタリア紀行2013」


2013/9/29

 
 ミラノ9月19日からミラノで開かれる国際小児内分泌学会、参加しました。15日と早めにJALで日本を発ちました。JALは最新の機体で、ビジネスクラスは、ジグザグに隔てられていて、窓側の人も隣の人の足を跨がなくても通路に出られます。寝る時もほぼ真っ平らになり、マットまでひいて快適に寝ることが出来ました。新作映画も3本(スタートレック、モネ・ゲーム、奇跡のリンゴ)見ました。ミラノ空港で知人夫妻とイタリア在住の息子さんと合流し、息子さんの借りたレンタカーで、ミラノのホテルにいきました。
9月16日
 
 今日は、ヴェローナへ行く予定ですが、その前に途中のベルガモに立ち寄りました。ベルガモは、新市街と旧市街に分かれていますが、小高い丘の上にある旧市街に行ってみました。12世紀に建てられた小さな聖マリア・マッジョレ教会に隣接して、15世紀にバルトロメオ・コッレオリが建てた大きなコッレオリ礼拝堂が並んでいます。入り口にはピンクの大理石でできたライオンが両側にあり、内部の天井には一面にきらびやかに絵が描かれていました(写真1)。
 
 息子さんが探したレストランで、この地方のワインとトウモロコシの粉を練った「ポレンタ」に、生ハムやラードの燻製を載せて食べるこの地方の料理に舌鼓を打ちました。ウサギの肉も出てきましたが、鳥肉と似たような味でした。
 

写真1・2

 
 その後、ヴェローナまで1時間ぐらいのドライブで着きました。ヴェローナは、古代ローマ時代より栄え、15世紀にはヴェネツィア共和国に属し、1797年ナポレオンに征服されてフランス、その後オーストリア、イタリアと所属の変わっていった都市です。シェークスピアの「ロメオとジュリエット」で有名な町でもあります。ホテルは世界遺産の中心にある旧市街のど真ん中で、細い道をクネクネ行ったところにありました。チェックインして早速旧市街を散策しました。街は観光客にあふれていましたが、アジア人は殆どいませんでした。多くの土産物屋のテントが並ぶエルベ広場には、大道芸人もいました(写真2)。広場には、ヴェネツィアへの忠誠の象徴であるサン・マルコの獅子の円柱や罪人の晒し台、ヴェローナのヴィーナスの噴水などがありました。すぐ近くには、「ジュリエット」のモデルとされた娘が住んでいた旧カプレーティ家が一般公開されており、若い観光客でごった返していました(写真3)。 ダンテの像が建っているシニョーリ広場を抜けて路地を歩いていると、サンタ・アナスタジア教会の前に出ました。この教会は、ドミニコ修道会により1200年後半から約300年もかかって建てられ、5つもの礼拝堂がある大きなもので、せむしが支える大きな聖水盤がユニークでした(写真4)。
 

写真3・4

 
9月17日
 今日もヴェローナ見物で、まずアレーナ(円形闘技場)へ行きました(写真5)。ローマのコロッセウムより約50年も前の紀元1世紀に建てられたもので、2万人以上収容でき、現在でも夏の野外オペラに使われています。昨夜もロックコンサートに使われたようでした。表には、今年と来年の夏の野外オペラの演目(アイーダ、カルメン、ロミオとジュリエットなど) が書かれた看板がでていました。
 

写真5・6

 
広場に、市街一周する汽車の形をした、天井も周りも見渡せる観光バス(写真6)がいたので、皆で乗り込んで市内観光をしました。モーツァルトの室内楽をバックに、4カ国語での説明が流れ、時々息子さんが訳してくれながら、ヴェッキオ城、ボルサーリ門、大聖堂、サンフェルモ・マッジョーレ教会などを眺めてまわりました。天気も良くて眺めも良かったのですが、石畳の道が多く車がガタガタ動くので、写真を撮るのに苦労しました。
 
その後川向こうの丘からヴェローナの街を眺めようということになり、車で細い路地を抜けて対岸に渡り丘を登りましたが、展望台にはたどり着きませんでした。観光ガイドブックで探した、綺麗なジュウスティ公園へ行くのに、一方通行だらけの細い路地を苦労してやっと辿り着きました。公園低部は典型的なイタリア庭園で、像や噴水で飾られていました(写真7)。正面の丘を登って公園高部に行くと展望台があり、ヴェローナ市街が見渡せました(写真8)。
 

写真7・9

 
近くの大衆的な食堂(Tratria)で食べたペペロンチーノは、日本よりかなり辛いものでしたが、なかなか美味しかった。珍しく雨が降ってきたので、ホテルに戻って休憩。夕食は、ワインが美味しいという有名な店(Botteca Vini)で、赤ワインを2本空けながら、牛肉のカルパッチョやボンゴレなどを食べましたが、どれもなかなか美味でした。若いマサッチョは、ステーキのタルタルをもりもり食べていました。
 
9月18日
 
 今日は、ヴェローナからコモにむかいました。ベルガモまで高速道路で戻って、一般道で北を目指しました。コモと湖でつながっているロッコに昼すぎに着いて、ピッツァを食べましたが、大きくて3枚を5人で食べ切れませんでした。隣のテーブルでは、地元の人が、一人一枚ずつたべていました。
 

写真9

 
 昼食後、ロッコからコモに向かい、夕方には到着。湖の前の近代的なホテルで、部屋から湖が見渡せました(写真9)。早速旧市街を歩き回りました。ここにも大聖堂があって、綺麗な装飾や宗教画、礼拝堂があり、脈々と流れるキリスト教の底力みたいなものを感じました。
 
 夕食はホテルのフロントお勧めのレストランへ行って、私の誕生日の前夜祭ということでロゼのシャンパンで乾杯しましたが、これがとても美味しく、普段は半杯も飲めない妻が、一杯飲みきってしまっていました。次に頼んだ赤ワインのBarbarescoが、またまた美味しく、今まで飲んだワインの中で一番の味でした。シェフお勧めのリゾットも美味しく、イタリアの食事とワインはなかなかいけますが、これも息子さんがいろいろ地元の情報を仕入れてくれるためです。
 
9月19日
 

写真10

 
 今日もいい天気で、コモ湖の周りを30分ぐらい北上して、湖の中に浮かぶ小さなコマチーナ島に小さな船で渡って散策しました(写真10)。ここには5世紀ぐらいのローマ帝国時代の古い遺跡が残っています。湖も綺麗に見渡せ、大きな観光船も時々接岸しています。グルッと島をひとまわりして、Barでアイスクリームを食べながらのんびりくつろいでいる時に、大きな観光船が接岸しようと側を通りました。妻が大きな声で「Chao!Chao!」と叫んで手を振ったら、たくさんの乗客が手を振って答えてくれて、楽しい交流をしました(写真11)。
 

写真11

 
 その後は、一路ミラノへ。1時半ごろ着いて前泊まったホテルにチェックイン。遅い昼食後、大聖堂周囲のショッピング街で、娘と息子達にお土産を買いました。サッカーの長友が所属しているインテル・ミラノのショップを探しましたが見つからず、明日またということで戻りました。
 
 夕食はやっと日本食にありつけました。中央駅近くの「友よし」で、これも息子さんがネットで探してくれました。誕生日に、枝豆、刺身、天ぷら、冷奴にキリンピール、薩摩白波…やっぱり日本食は美味しい。
 
9月20日
 
 知人夫人は、息子さんがデザインした大きなストールをいつもかけていて、それがなかなか綺麗なので妻が褒めていました。すると息子さんはプレゼントするといって、早速ローマから取り寄せてくれて、それが今日の朝ホテルに着きました。紫を基調にした素敵な柄で、妻は早速着てショッピングに出かけました(写真12)。妻は、しきりに日本で通信販売すればいいのにと、勧めていました。
 

写真12・13

 
私は学会会場へ。会場は、中央駅からタクシーで15分程かかる少し郊外にある大きな施設で、レジストレーション後、直ぐにポスターを貼りました(写真13)。低身長外来研究会で共同研究した、低身長思春期発来男子に対する性腺抑制 に成長ホルモンand/or蛋白同化ホルモン併用療法の成績を2分間発表しました。蛋白同化ホルモンの併用療法の発表は初めてなので、欧米の小児内分泌医も興味を持ったらしく、討論では用いた蛋白同化ホルモンの種類に関して質問されました。Oxandroloneと同じような種類で、女性ホルモンに代謝されないものと答えました。
 
 ポスター発表の後はすぐにWorkshopの座長でした。「特発性低身長症は治療すべきか、すべきでないか」というテーマで、アメリカもHussy Cohenが賛成論、イギリスのMartin Savageが反対論を述べるというもので、私とイタリアのSandro Locheが座長を務めました。Hussyがなかなか現れない中、Sandroに「妻は今Shopping中だ」と 話したら「Workshopとは、夫がWorkし妻がShopする時間のことだよ」と新しい解釈を教えてくれました。演者の二人ともユーモアを交えながら、同じようなデータを異なった切り口で見ているという感じで議論が戦わされました。最後に私が聴衆の評決をとったところ、治療が承認されているアメリカ人は賛成が多く、承認されていないヨーロッパでは反対が多いという結果でした。私は、自分の経験から、治療すべきに手を挙げました。
 
 夜は、JCRのミニWorkshopが五つ星のサヴォア・ホテルで開かれ、私が座長をして、スウェーデンのKerstin AlbertssonーWikland教授に「生理的な成長ホルモン治療」という題で講演をしてもらいました。Kerstinとは、20年以上の知合いで、彼女は小児において24時間の成長ホルモンの分泌の研究や思春期における成長ホルモンの用量反応性の研究データを報告してくれて、臨床の助けになるような講演でした。50人以上の日本の小児内分泌医が参加しましたが、交通渋滞のため開始が遅れ、9時過ぎまでかかったため、皆疲労気味でした。しかしその後の情報交換会では、皆元気に飲み食いしました。
 今日のショッピングで、妻はインテル・ミラノのショップで長友のユニフォームを買うことが出来、クリニックに今飾ってあります。
 
9月21日
 

写真14

 
 ヴェネツィアに行く予定で8時5分発に合わせてミラノ中央駅に行ったところ、50分遅れの表示。駅構内のBarで時間を潰しましたが、最終的に75分遅れで、サンタ・ルチア駅についた時には、12時を過ぎていました。まずサン・マルコ広場(写真14)に行くために水上バスで45分。広場の周りはすごい人でした。2時ごろからシーフードレストランに入って食事しましたが、私は夜の会合があったので、3時20分の列車で帰らなければなりませんでした。帰りの水上バスの乗り場で戸惑って、駅についたのは3時30分。列車は遅れずに定刻どおり発車していたので、乗り遅れてしまいました。次の1時間後の列車にチケットを変更しましたが、この列車は20分遅れだったため、ミラノ中央駅についたのが7時20分で、7時30分からの会合には間に合いませんでした。
 
 妻たちも予定の列車に乗り遅れ、帰ってきたのは10時30分頃で、席も全員分確保できず大変な帰り道だったとか。乗りたかったゴンドラにも乗る時間が無く、妻は不満そうでした。私も往復8時間かけて、サン・マルコ広場に昼食を食べに行っただけなので、また行こうと妻を慰めました。
 
9月22日
 
5年前にミラノにきた時は、大聖堂は改修中で屋根しか登れなかったので、今回は中を観ようと地下鉄で行くことにしました。地下鉄がきて入ろうとした時、後ろの男がいきなり私の両足首を掴み、仲間の男が後ろから何か叫んでいました。強引に男の手を振り切って中に入ったら、男たちは去って行きました。乗客も大丈夫かと聞いてきましたが、幸い何も取られていなかったのでホッとしましたが、強引なスリ一味だったと思われました。
 

写真15

 
大聖堂を見学していたら、いきなりパイプオルガンがなり始めて日曜ミサが始まりました(写真15)。グレゴリアン聖歌のような祈り、大司教の説教、聖歌隊の合唱。荘厳な雰囲気に、しばし敬虔な時間を味わいました。
その後は、ミラノ空港から帰路の旅へ。パリでJALに乗った時は、ホッとしたくつろいだ気分になりました。

 今回の旅は、学会は最小限の仕事をして、あとはのんびり観光旅行でしたが、列車の不規則な遅れ、スリに襲われかけたこと、ホテルに忘れた充電器が出てこなかったことなど、イタリアの洗礼を十分に浴びた旅でもありました。

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